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人にどう見られるか 

2012.01.17(23:37) 537

次のような記事がありました。

香山リカのココロの万華鏡 毎日新聞社 1月17日(火) 配信 /東京

「人にどう見られるか」 

 練炭自殺に見せかけ交際相手ら男性3人を殺害したとして、殺人罪などに問われている女性被告の裁判員裁判が始まった。以前はブログに一流といわれるグルメや美容について熱心につづっていた彼女だが、その性質は逮捕から2年以上たった今も変わっていなかったようだ。公判を傍聴した知人は、「午前と午後でそれぞれ違う服装で現れ、ヘアスタイルやメークもきちんと整えられているように見えました。自分の裁判でそんなことってあるんだろうか」と困惑気味に語っていた。

 おそらくこの女性にとっては、「自分がまわりからどう見えるか」がすべてなのであろう。たとえ現実の生活とはかけ離れていても、ブログでは“裕福なお嬢さま”のように振る舞う。被告として裁かれる裁判でも、自分が脚光を浴びるショーのように服装やヘアスタイルにこだわる。「他人の目に映る自分」こそ、本当の自分。彼女はそう思い込んでいるのではないだろうか。

 ここまで極端ではないにせよ、私たちにもそういう傾向がないとは言えない。

 「まわりにどう思われているか」「どう見られているか」ということばかり気にして、本来の自分らしさを忘れてしまうこともある。それほど行きたくもない高級レストランに無理して出かけて料理の写真を撮り、あたかも行きつけであるかのようにブログに載せた、といった経験がある人も少なくないだろう。私は「どう見えるか」をほとんど気にしないタイプなのだが、それでも鏡の中の自分に白髪やしわを発見すると、「わあ、今日の会合に出席した中では、私がいちばん老けて見えたかも」などと気持ちがめいってしまう。

 もちろん、「どう思われてもけっこう。自分は自分」と完全に自然体で生きることなど、もう私たちにはできないだろう。それに、「ほかの人たちから見て悪い印象にならないように」と身だしなみや態度に気をつかうのは、社会生活のマナーでもある。とはいえ、「こんなふうに見てもらいたい」と理想のイメージを意識し過ぎ、自分を偽ってまでもそれに近づけようとするのは、明らかにやりすぎだ。たとえそう見せることに成功して、「きれいね」「セレブ生活だな」などと言われて一瞬、うれしい気持ちになったとしても、後には何も残らない。

 冒頭の女性被告にとっては、裁判そのものの成り行きや真実のありかよりも、「年齢より若く見えるね」「相変わらずおしゃれにこだわってるんだな」などと言われるほうが大切だったのだろうか。なんだかむなしい気持ちになるばかりだ。

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りんむうフォトダイアリー



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2012年01月17日
  1. 人にどう見られるか (01/17)