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臆せず、踏み込んだ報道を 月刊誌「創」編集長の篠田博之さん 「検証・相模原殺傷事件 識者に聞く」

2017.01.31(12:06) 1277

次のような記事がありました。

臆せず、踏み込んだ報道を 月刊誌「創」編集長の篠田博之さん 「検証・相模原殺傷事件 識者に聞く」
その他 2017年1月30日 (月)配信共同通信社
 犯罪は世相を映す。米国のトランプ現象が象徴する「排外主義」が世界的に高まり、日本でもヘイトスピーチのような現象が広がっている。相模原の事件は、これらと地続きのように感じられる。困難な議論をはらむ事件だが、メディアは臆することなく踏み込んだ取材をし、社会に問題提起しなければならない。

 かつてメディアでは障害者などへの差別的な表現が横行し、1980年代を中心に関係団体から激しく糾弾された。その際、差別語を「言い換える」ことで逃れ、差別を巡る本質的な議論が深まる方向に進まなかった。

 「無理解か、及び腰のどちらかだ」。知的障害者事件の第一人者で2014年に亡くなった副島洋明(そえじま・ひろあき)弁護士は、障害者が関わる事件報道をこう評した。当初は大騒ぎし、容疑者が精神障害との情報が出た途端、報じなくなる―。14年の「アンネの日記」破損事件のようなケースにずっと疑問を感じていた。

 パラリンピックや「24時間テレビ」に特徴的な「感動をありがとう」という文脈で定型化した障害者像を伝える一方、犯罪や差別といったテーマは回避する。メディアは本来立ち止まって議論すべき事を、機械的に処理してきたように思う。

 そんなあいまいにしてきた部分に、相模原事件の容疑者はいきなり手を突っ込んだ。事件があぶり出す社会の問題点を解説する報道が十分なされない背景には、こうしたメディアの弱さがある。

 「障害者は生きる価値がない」という容疑者の主張は、絶対に許容できないものとして戦後教育で封印されてきた発想だ。だが「共生」という建前に賛同しつつも、人々の本音には「実は隣には来てほしくない」という意識が潜んでいた。

 今回の事件は、それまで何となくふたをしてきた事を表に出してしまったのだ。容疑者への共感をインターネット上で表明するだけでなく、電話や手紙で障害者の関連団体に伝えてきた人までいたと聞き、事態の深刻さに驚く。

 警察は「遺族の要望」として犠牲者全員の氏名を公表していない。遺族が名乗り出られず、口を閉ざしたのは、差別が厳然と存在するこの国の現状を表している。

 だが犠牲者の情報がほとんど報じられないのはやはり異常だ。それは記者たちが遺族ら関係者に肉薄できていない結果でもある。報道する側の覚悟が問われている。当事者に寄り添い、本質に踏み込み、考えるべき問題をすくい上げることがジャーナリズムの使命だ。

   しのだ・ひろゆき 51年、茨城県生まれ。81年から「創」編集長。「ドキュメント死刑囚」など著書多数

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りんむうフォトダイアリー



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