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少々の記憶違い大目に 香山リカのココロの万華鏡

2017.03.29(00:13) 1301

次のような記事がありました。

香山リカのココロの万華鏡:少々の記憶違い大目に /東京 2017年3月28日 (火)配信毎日新聞社

 「言った」「いや言ってない」「覚えていない」「私の記憶ではこうだ」といった言葉が飛び交って、国会は大荒れ。

 私たちは時々、自分に都合の悪いことを隠すために「さあ、知りません」と言うこともあるが、本当に言ったことや話したことを忘れてしまうこともある。それどころか、ないものをあると思い込んだり、別のものと置きかえて覚えてしまったりすることも珍しくない。大きな事件が起き、警察が聞き込みをして「犯人は黒いトラックで逃げたもよう」と発表したのに、逮捕された容疑者は白いワゴン車に乗っていた、などということも時々ある。人間の記憶はあてにならないのだ。

 診察室にいてもこれはよく感じる。たとえば、20代の青年が来て「両親からひどい意地悪をされながら育てられ、心の傷になって眠れない」と父や母から浴びせられた言葉をあれこれ語る。「それは大変でしたね」と同情しながら聞いていたのだが、ある時、その人の母親という女性がやって来た。「息子がインフルエンザになってしまって、今日は私がかわりに安定剤をいただきに参りました」

 この人があの青年を追い詰めた母親なのか、とこちらも身がまえながら話したのだが、どう見てもとてもやさしそうな人なのだ。「私と夫にとって、ひとりっ子の息子は宝物、大切に育てました。だからいま悩んでいる姿を見るのがつらくて」と涙まで流すのだ。

 では、この青年と母親、どちらがウソを言っているのか。

 裁判などならそれが大きな問題になるが、診察室ではあまり気にしない。もし、青年の言っていることが真実ではなく、両親はやさしい人だったとしても「意地悪された」と思い込んでいることや、誰かに話さずにはいられないことが重要なのだ。もしかすると、彼はいま職場でしんどい状況にあり「どうしてこんなひどい目にあうのか。そうだ、両親の育て方が悪かったからに違いない」と別の理由に置きかえているのかもしれない。人間の心はそうやって勝手に自分の記憶を書きかえることさえあるのだ。

 とはいえ、国会などで発せられる「覚えていません」という言葉を「そうでしょう。人間の記憶は不確かですからね」と見すごすことはできない。政治家には、自分の言動に責任を持ってしっかりやってもらわなければ困る。でも、日常の中での少々の記憶違いは、お互いに「そんなこともあるよね」と大目に見たいものだ。(精神科医)

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りんむうフォトダイアリー



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