FC2ブログ


タイトル画像

ベストセラー作家に聞く

2012.11.11(15:22) 657

次のような記事がありました。
長い文章ですがどうぞお読みください。

ベストセラー作家に聞く

医療の傲慢、自費出版でも伝えたかった - 中村仁一氏に聞く

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』は自然死三部作の完結編

2012年11月8日 聞き手・まとめ:島田 昇(m3.com編集部)

 2012年1月に発行し、50万部を突破したベストセラー『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』(幻冬舎新書)。「超高齢社会」「多死時代」に向けて、必要最低限の医療による「自然死」の必要性を訴える内容だが、医療従事者にとっては、内容よりも先に「医療とかかわるな」のフレーズばかりが目に付いてしまうだろう。自身が医師で著者の中村仁一氏はなぜ、このような過激なタイトルで本書を上梓したのか――。「自費出版でも伝えたかった」と語る中村氏の訴えと、その真意をお聞きした(2012年10月16日にインタビュー。計2回の連載)。

――本書を上梓された背景を教えてください。

 本のタイトルを見て、私が医療を全面否定していると勘違いされた方も多いようですが、そんなつもりは毛頭ありません。ただ、本来であれば我々が最も重視すべきQOL(生活の質)の視点が、今の医療にはあまりにも欠けています。このことを、私は問題にしているのです。

     WS000011.jpg

中村 仁一(なかむら じんいち)氏
1940年長野県生まれ。京都大学医学部卒業。勤務医として経験を重ね、財団法人高雄病院院長、理事長を経て2000年2月から社会福祉法人「同和園」特別養護老人ホーム兼養護老人にホーム附属診療所所長(現職)。医療と仏教連携の先駆けとなる市民グループ「自分の死を考える集い」を1996年4月から主宰する。

 医療が必要な理由は大きく分けて、回復の可能性がある場合とQOLの向上が見込める場合の2つです。しかし、後者のQOLの向上において、今の医師に「医療を提供したら、この患者のQOLがどうなるのか」という視点が十分に備わっているとは、私には思えません。体中に管を通す延命処置、回復の見込みもなく、激しい苦痛を伴う抗癌剤の投与――。QOLの視点があれば、ほとんど拷問のようなこれらの処置をするはずがありません。

 特に、高齢者の医療においては、QOLの視点は絶対に必要です。高齢者のほとんどは、老化を原因とする完治することのない生活習慣病に苦しんでいるのであって、このことは「病」ではなく、「老い」に対して医療がどうかかわっていくべきなのかという、今後の持続可能な社会保障を考える上で、重要かつ大きな課題が隠されていると、私は考えています。

――医療に対して、そのような視点を持つに至ったきっかけは何ですか。

 近代医学は、感染症に強い威力を発揮してきました。私もその威力に感銘を受けたことが、医師になったきっかけの一つでした。しかし、実際に医師になって、がっかりしてしまった。なぜなら、感染症から生活習慣病に病気の中心が移っていて、治せる病気がほとんどなくなっていたためです。生活習慣病は、完治することはありません。一生、上手に付き合っていくしかない。当然、治らないから患者はがっかりする。この現実を知って、長いこと「すごいと思ってきた近代医学は、実は大したことないな」と思ってしまいました。

 その経験と考え方が、前著の『老いと死から逃げない生き方』(講談社、1994年)、『幸せなご臨終―「医者」の手にかかって死なない死に方』(講談社、1998年)を執筆するきっかけになりました。これらの前著では、医療に対するぼんやりとした疑問を書いてきたのですが、今勤務している特別養護老人ホームで苦しまずに逝かれた数百人の「自然死」の経験、17年続けている「死」を視野に「生」を考える「自分の死を考える集い」の経験を経て、実際の裏付けができたと確信しました。

――刺激的なタイトルですが、どのようにして決めたのですか。

 当初、本作は自然死に関する三部作の完結編という位置付けで、自費出版する予定でした。そこに幻冬舎から話が来たので渡りに船だったのですが、タイトル決めでは難航しました。実は、タイトルは最初は『「自然死」のすすめ 大往生したけりゃ医療とかかわるな』にすると私が決めていたのですが、担当者は全く違うタイトルを付けたかったらしく、「大往生だなんて古臭い」と反対していたのです。そこで私が「タイトルと内容は一致したものにしたいので、このタイトルでなかったらやめる」とまで言いました。それでようやく折れた担当者が、「では主題と副題を逆にしましょう」と。それでできたのが、『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』だったのです。

――本書では、終末期に必要最低限の医療をしながら看取る「自然死」を推奨しています。自然死の実態は“餓死”と説明されていますが、それで苦しまずに穏やかな最期を迎えられるのであれば、これを見習おうとする医師、あるいは、「そんなことはない」と反論する医師がいるのではないですか。

 私に反論したくても、できないのでしょう。なぜなら、病院の勤務医に自然死など許されるはずがないので、そもそも自然死をほとんどの医師が見たことがないからです。在宅医も知らないでしょう。たとえ自然死が患者にとって最も好ましい最期を迎える手段であると考えていても、患者の家族が許しません。点滴の1本でもぶら下げておかないと、納得しないからです。そういう場面では、何をどう説明しても通じません。それが今の日本の実情なのです。自然死は、国民も知らなければ、医師も知らない。

 日本人は、医療に毒されすぎています。医師が何かをすれば治ると信じている。逆に、医師が何もやらないことには耐えられない。例えば、抗癌剤。抗癌剤を投与すると、健康状態はマイナスになるのですが、医師が「効く」と言えば、患者は「治る」と思ってしまう。医師は「腫瘍が小さくなることを効く」という意味で言っているのですが、患者は「腫瘍がなくなって治る」と考えてしまう。癌は腫瘍が少しでも残っていたら完治できないという事実があるにもかかわらず、その腫瘍を小さくするために、いわば味方の兵も民間人も傷つけてまでして、ほとんど意味のない腫瘍を小さくすることに執着する。これでは、延命どころか縮命でしょう。

 また、医師も「治らない」ということを認めたくないのでしょう。「何とかしたい」と。もちろん、たまに治った例もあるので、諦めると自己否定につながるし、医学の進歩も肯定できなくなってしまう。こうした医療に対する医師の傲慢と、患者の幻想が、結果的に医療を本来あるべき道から遠ざけ、おかしな方向に向かわせてしまっているのではないでしょうか。

――医療関連団体などから何か反応はありましたか。

 いくつかの病院から広報担当者を通じて記念講演の依頼が来ましたが、すべてなくなりました。まあ、「病院に行くな」と言っていますから、いくら広報担当者が熱心に企画しても、幹部会や病院長のところでは却下されるでしょう(笑)。

 また、インターネットでは本書に対するさまざまな意見があるようですが、全く興味がありません。なぜなら、わたしはインターネットを使えませんので、そもそも見る機会もないし、何を言われても痛くもかゆくもないからです。「どうぞご自由に好き勝手言ってください、私も、好き勝手言っていますので」という心境です(笑)。

   P9149850
     アメリカ朝鮮朝顔  posted by (C)りんむう
スポンサーサイト



りんむうフォトダイアリー



健康 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
<<心の専門家も同じ人間 | ホームへ | ピラカンサスが真っ赤になりました>>
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する